踊る阿呆

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段階的攻利主義

※量的攻利主義や質的攻利主義に続く、新しい考え方だと思って書いていますが、既出の場合は教えてください。

 

 

量的攻利主義とは、「最大多数の最大幸福」という言葉の表すとおり、一人の人間は一人以上でもそれ以下でもなく平等に扱い、選択や行動の帰結としてもたらされる幸福の総和が最大になることを良しとする考え方である。

 

質的攻利主義では上記の幸福の定義を批判している。幸福には質があり、例えばギャンブルで得られる幸福と家族で食卓を囲む幸福には質的な上下関係や優先順位があるという主張だ。

 

上述の通り、質的攻利主義では一人は一人として扱うものの、幸福には重みをつけて計算するべきだという主張がある。

 

幸福に対して優先順位を付けていこうという主張には賛同できる。

 

しかしながら、上記2つの問題点として、あくまでも多数決をして決断をするというプロセスになっており、多数派の意見が優先されやすく、少数派は負担を強いられる。

 

そこで、段階的攻利主義では、所属する社会における道徳感や文化的背景をもとに、幸福や利益に対して段階を設け、最も土台となる階層から順番に、その幸福や利益を望む人間がそれを満たせる状態になるまで上位の決断を下さないというプロセスを提案したい。

 

幸福や利益の段階をどう付けるのかについては決定的な解決に至らないが、マズロー欲求段階説などから引用して、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求……などから要素を抜き出すのも一案である。

 

集団全員が下層の幸福や利益を得られない状況では、自分は次の段階の幸福や利益を望めないのかという批判に対しては部分的にYesと答える。

 

前提として、これらのイデオロギーは他者に対する影響が発生する場合にのみ効力があり、他者に迷惑をかけない限りは幸福や利益を追求することを阻まない。

 

また集団の区切り方も、状況によって数人の組織から国家規模まで様々であり、階層の定義も集団によって異なり得る。

 

段階的攻利主義によって、マイノリティの保護、共助意識の醸成など、副次的な効果にも期待できるのではないだろうか。

 

以上。

 

--追伸

若干の社会主義っぽさが出てしまったが、個人は行き過ぎない能力主義によって努力と見合うリターンを得つつも、下層の欲求に対しては集団として保障する仕組みの必要性を感じていたため記事にした。

 

システム開発でも、下層の機能要件(無くてはならない)が満たされるまでは上位の機能要件(あったらいいな)に取り組まないという段階的なアプローチを提案したいが、どう思うだろうか?

 

実はシステム開発への適用のための壮大な前フリだったのかもしれない 笑