脱英雄志向のススメ
「まだまだ勉強不足なので頑張ります。」
「次は〇〇の分野にもチャレンジしていきたいと思います。」
SNSや日常生活でも聴き慣れた言葉ではあるが、これをやめた方がいいというのが僕の主張。
あれも勉強しなきゃ、これも出来るようにならなきゃ。資格コレクター・ノウハウコレクターと呼ばれるほどではないにせよ、エンジニア界隈には気づかずにここに陥っている人が山ほどいる。
さらに悪いのは、「こんなことも知らないのか」というマウントが常態化していて若者の不安を掻き立てる。僕も冗談で「小学生のうちに学んでおくことですよね?」という言葉を使うが、最近は真に受ける人もいるので控えるようにした。
あくまで仮説だが、「〇〇を知らないとエンジニア界隈ではやっていけない」という恐怖心は、人間の根源的な防衛本能と直結していると思っていて、仕事でヘトヘトになっているはずなのに、睡眠時間を削って何時間も勉強したりする。
勉強していることが美化されているのも問題。確かに努力は美しいし、日本人の道徳感に響くものがある。でもそれはbetterであって、mustではない。
睡眠時間を削って行われる勉強はbetterですらなく、認知能力・集中力などの知的労働に必須な能力を自ら削り取る愚かな行為だと強く伝えたい。詳細は別の記事に書こうと思うが、筆者は脳過労になったことがあり、認知力の低下によって、読んでいる文章の1行前が思い出せないくらいのダメージを受けた。僕のようにならないことを願う。
また、「githubに毎日草を生やせないエンジニアは採用しない」みたいな会社があるようだが、そういうところは勝手にさせておけばよくて、人口減少局面の日本では努力の総量で勝負することがそもそも難しいということを理解できていないやばい状態。
話を戻すが、「あれもこれも出来るようになりたい」というスーパーマンを目指すことを個人的に「英雄志向」と呼んでいる。
牧歌的な時代には技術は比較的シンプルで、才能ある若者が体系立てて学べばレオナルドダヴィンチのようなスーパーマンになれたかもしれない。
でも現代の技術は複雑怪奇に絡み合っていて、人間の生涯ですべてを身につけるなんていうことは不可能に近い。ブラウザを土台とするフロントエンドの技術だけですら進歩のスピードは凄まじく、全てキャッチアップできている人はいないだろう。
ではどうすればいいのか?という問いに対する答えはシンプルで、タイトル通りの「脱英雄志向」だ。
「他人にできて自分にできないことがあると不安」「すでにある程度のスキルはあるが、まだまだ勉強不足」という気持ちとは強い気持ちと理性をもって決別しよう。
世の中には「スペシャリスト」と「ジェネラリスト」がいる。正確には「スペシャリスト見習い」と「ジェネラリストになりきれない器用貧乏」もいる。
スペシャリストというのはその道のプロのことで、「〇〇についてはこの人に聞けば大体解決する」と周囲に思われていたり、実際に本の執筆をできるほど体系立てて理解しているような人のこと。特定領域だけではなく、3〜4つほどの領域にまたがって深い知識・問題解決能力を発揮できるとなお良い。(それ以上増やすと一つ一つにリソースを割けなくなるので注意)
ジェネラリストとは、広範な知識を持ちつつも概要とメリット・デメリット、活用方法を知っている程度でスペシャリストのような特化した能力はもたない人。特定領域へのこだわりを持たずに結果を出すための最適解を総合的に判断できるような能力を持つことが求められる。
このどちらの道を進むのかは自由だが、中途半端が一番良くない。
英雄志向の持ち主は、まだスペシャリストになりきれていないのに他の領域もできないと気が済まないので、他の勉強をし始める。結果的にどの領域もトップ層(Top of Top である必要はまったくない)まで登り切ることなく時間を浪費する。知らないことは知らないと割り切る勇気がスペシャリストには必須の資質だと言える。
ではジェネラリストを目指したらどうかといっても、自分でできないと気が済まない考え方が邪魔して、専門家に頼るポジションに徹することができない。ジェネラリストはプロセスや専門性ではなく、結果だけが求められるシビアなポジションであることを考えると、ほどほどに知っている領域をとにかく広く広くする必要がある。こちらも、専門領域がない・そんなに詳しくないという状況を勇気を持って受け入れることが必須。
ここまで説明すると、いかに英雄志向が現代において無駄が多く結果的に無力であるか伝わっただろうか。
これは理解しても本能に逆らう行為なので、ぜひとも理性を働かせて「脱英雄志向」でいこう。